[PR] 動物 霊園 読書日記? 2006年04月
趣味の歴史や読書などについて、つらつらと語るブログ。戦国真田氏ネタが多め。最近は手芸ネタも増え、カオス化しています。(汗)
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 2項くらいでまとめようと思っていたのですが、ついに4項目。(汗)これで終わりにしよう・・・

 行列は原町方面(真田太平記館の方ね)へ向かいました。この後には海野町の方へも行きますが、私は昨年と同じく敵陣の偵察に徳川本陣(上田駅)へ。やはり情報・諜報は大事ですよね。

 駅前には、すでに徳川軍の兵士が待機していました。今年はやけに少なくないっすか?(汗)
 ざっと見たところ、足軽は50人ほどだったでしょうか。昨年は、結構な大人数だったと思うのですが。徳川軍、軍縮しているのか?

 しばらく待っていると、徳川軍総大将の秀忠公が登場・・・って、今年は徳川郡は秀忠公のみ?昨年は森忠政公と前田利常公を従えていたのに。(汗)
 真田軍をゴージャスにしたためか、昨年も一昨年も1本取られているので、今年の綱引きはストレート勝ちを狙う真田軍の謀略か。(笑)
 かなり寂しい徳川陣営でした・・・

 徳川軍の行列を追い越し、綱引き会場付近に到着すると、真田軍は海野町をパレード中。しばらくはこれを追っかけました。


 行列が交差点まで戻ってくると、真田軍が上田城への道に陣取り、徳川軍が海野町方面の道に陣取ります。

 この時、私は交差点中央近くにいました。真正面には真田の大将が床几に着座。「写真が撮りやすくてラッキー」とか思っていたのですが、そのうちに目の前に床几が据えられ、そこには徳川軍大将の秀忠公が・・・敵陣の真っ只中ですよ。(汗)しかも、お付の方の旗で、前が良く見えない。(涙)
 いまさら移動しても前に出るのはダメそうなので、旗の隙間から綱引きを見物しますか。

 綱引きの前には、大阪城甲冑隊のパフォーマンス。さすが大阪、笑いのツボを押さえていますな。(笑)

 綱引きは、1回戦は真田軍の勝ち。2回戦は徳川軍の勝ち。徳川軍、人員削減するもけっこう強い?「来年こそは徳川まつり」と意気込んでいたし。


 残すはあと1回。ここで、司会者から「真田軍は子供が多いから(徳川軍は)強く引きすぎないで下さい」という発言が・・・もしかして八百長強制?(汗)

 結果は、3回戦も真田軍が軍が勝利し、来年も上田真田まつりを開催されることに決定。めでたし、めでたし(笑)
 真田軍の勝利が決定すると、幸隆公からお褒めの言葉があり、続いて幸村公による勝鬨があげられました。

 これで真田まつりは終了となるわけですが、幸隆公&幸村公は、周囲に記念撮影の人だかりができて、なかなか帰れないもよう。人気者はツライっすね。

 参加&見物の皆さま、昨日はお疲れさまでした。また来年も、上田真田まつりで会いましょう。
 鉄砲隊が終わると、壇上にいた大将たちが行列のスタンバイのために櫓門に吸い込まれて行きます。
 なかなか行列が始まらないな~と思っていたら、お馬さんがお食事中とのこと。(笑)侵攻が遅れてしまうと、司会の噺家さんは大変ですね

 やがて櫓門が開き、行列が始まりました。
 先頭は、戦国真田氏初代幸隆公(左)。武田(信虎)・村上・諏訪の連合軍に故郷を追われて一時は上州に逃れたものの、武田信玄公に仕えて頭角を現し、『信州先方衆』の代表的な武将となり、武田家の上信二州への勢力拡大に力を尽くしました。

 二番手は、幸隆公長男・信綱公(中)。豪勇で知られ、ものによって人員の変動がある『武田二十四将』でも必ず選ばれています。
 松代の真田宝物館には信綱公のものという長大な太刀があるのですが、あれを戦場で振るっていたとすると、相当な腕力と体力のある方だったと思われます。

 三番手は、幸隆公三男・昌幸公(右)。言わずと知れた上田城を築城された方ですね。
 しかし・・・今回の真田まつりの中では、「幸村公が上田城を築城した時・・・」とか言っていたような。(汗)思わず、「築城者は昌幸だろ」とツッコミ。その頃、幸村公は17歳ですよ・・・
 私が昨日頂いてきたパンフレットにも、「真田幸村が天正12年に天守閣のない平城を築き・・・」と書かれたものがありました。
 パンフ作るなら、もっと良く勉強して下さい。青●村さん・・・


 四番手は、幸隆公次男・昌輝公(左)。兄・信綱公の陰に隠れてしまいがちですが、信綱公ともども豪勇で鳴らしていたそうです。

 五番手は、幸隆公四男・信尹公(中)。武田家滅亡後は他家に仕えましたが、最終的には徳川家に仕え、旗本となりました。
 大坂の陣では、家康公に依頼されて幸村公を徳川につくように説得に赴きました。断られてしまったけれど・・・

 六番手は、昌幸公長男・信之公(右)。上州沼田城主・信州上田城主・信州松代城主と、3つの城主の座にあること70年近く、いずれの土地でも『名君』として慕われました。
 関ヶ原合戦の時には、父弟と敵対(精神的には敵対していなかったと思う)することになる辛い人生でしたが、それを乗り越えて真田家を存続させた功績は大きいと思っています。


 大将の殿軍は、上田真田まつりの主役である昌幸公次男・幸村公。真田氏の中では、知名度・人気ともダントツ一位ですね。
 最期の戦いとなった大坂夏の陣では、鬼神のような戦いぶりで『真田日本一の兵』と敵将からも讃えられましたが、本来は温厚で優しい人物だったようです。

 幸村公の後には、真田十勇士・チビッコ忍者隊・大阪城甲冑隊・奥方たち・幸村公の子供たちなどが続き、殿軍は真田騎馬隊でした。

 例年は、奥方は当時の武家女性の姿、若君は鎧姿、姫君は着物で車に乗っていたのですが、今回は全員武装でした。
 まさか、奥方までそんな姿で登場するとは思いませんでしたね。意表をつかれたためか、良く写っている写真がほとんどありません。(汗)

 左の写真は、幸隆公奥方。河原氏出身と伝わっています。

 下左は、昌幸公奥方。武家出身とも公家出身とも言われていますが、武田家滅亡直後のエピソード(息子たちの足手まといにならぬように自害しようとした)から、個人的には武家の出身ではないかと思っています

 下中は、信之公奥方。徳川四天王のなかでも勇猛で知られた本多忠勝公の息女です。
 父親に似て豪胆な女性だったようで、多くの逸話を残す女丈夫です。

 下右は、幸村公奥方。関ヶ原で石田三成公との友情に殉じた大谷吉継公の息女です。
 この女性にはこれといった逸話はありません。慎ましやかな女性であったと思われます。


 大将と奥方の紹介だけで、こんなに長くなってしまった・・・(汗)
 やはり、真田関係のことを考えている時は幸せですね~書く気になれば、いくらだって書けそうですもの。
 おまつりの最初は、真田神社から繰り出す真田神輿。あれ?今年はいつも上で音頭を取っている人がいないぞ?これでは餅まきしないのか?
 と思っていたら、そのうちに2人の男性が神輿の上へ。でも、お餅を撒きそうな雰囲気がありません。
 今年は経費削減で餅まきしないのだろうか・・・と思っていたら、私がいるところを通り過ぎてから始めました。ということで、今年はお餅ゲットならず。不覚・・・(涙)

 例年であれば神輿の次は真田鉄砲隊ですが、今年は上田城築城祝宴&真田軍出陣の儀が先。何故か来賓の挨拶が少なかったです。見ている方としては、少ない方が助かりますが

 上田市は、今年の3月6日に真田町・丸子町・武石村と合併しました。合併後初の真田まつりなので、いつもは幸隆公・昌幸公・信之公・幸村公の4人の大将なのですが、今年は昌幸公の兄である信綱公・昌輝公と弟の信尹公も参加。ゴージャスな7大将となっています

 配役は、幸隆公に昨年徳川秀忠に扮していた瀬下直人氏。昨年は「上田出身なのに徳川」と呟いていましたが、今年は真田初代幸隆公ですよ!ずいぶんな出世ですね。
 信綱公は、旧真田町町長さん。今までは幸隆公として参加されていた方です。
 昌輝公は、多分旧丸子町関係の方で、信尹公は多分武石村関係の方。すみません、よく聞いていませんでした。(汗)
 本当は信尹公の下にもう1人、金井高勝という方もいたのですが、最終的に帰農されたためか、知名度はイマイチですね。
 信之公は、松代商工会の方。幸村公は、公の次男で奥州伊達家に匿われた片倉守信公(幼名大八)のご子孫である真田徹氏でした。

 大将が壇上に揃うと、その前で上原三ツ頭獅子・大阪城甲冑隊・房山獅子などが披露されました。


 この後は、高津屋城→虚空蔵山→峰の展望台→太郎山→砥石城の、『のろしリレー』なるものがあったのですが、そろそろ鉄砲隊の場所取りをしないといけないので、櫓門の方へ移動。堀の周囲の木で、のろしは見えませんでした
 のろしが上がると、騎馬武者が大将たちのもとへ駆けつけ、戦況を報告・・・したもよう。鉄砲隊の方に気が行っていたので、よくわかりませんでした。(汗)

 やはり真田鉄砲隊は良いものです。ちょっとタイミング合わなくて、シャッター切るのが遅かったり早かったりしてしまいましたが。(涙)


 鉄砲隊が終了すると、いよいよ行列ですが、ちょっと時間がないため、明日にでも。

 ・・・石和のレポも完了していないのに、何やってんだ私。(汗)
 春のおまつりの最後は、上田真田まつり。
 今年は直前まで雨が降ることを覚悟していましたが、当日は晴れ。私が行くのは今年で6回目ですが、今まで一度も雨が降りませんでした。と言うか、ほとんど快晴。真田ファンの中に、晴れ男または晴れ女がいるのかもしれません。(笑)

 自宅を6時に出発し、8時前には上田に到着。近くて良いな~上田。石和なんて、5時に出発しても石和温泉駅に着くのは10時少し前だもんね。(汗)

 上田の駅で降りるとなれば、幸村公の像にご挨拶をしないわけにはいきませぬ。
 私が到着した時には、女性が写真を撮っていました。そして、私が去るときにも別の女性が・・・幸村公、女性に大人気ですな

 上田駅前のメインストリートを通り、三井住友銀行の手前の交差点を左折、上田藩主屋敷跡(現長野県立上田高校)へ向かいます。
 今日は休日とはいえ土曜日のためか、いつもより学生さんが出入りしていて、カメラを持ってふらふらしている私は、ちょっと不審人物っぽかったかも。(汗)
 すみません、別に高校生を狙っているわけでなく、ただ単に門とかお堀とか撮りたいだけなんです~・・・

 この門の周囲の桜、咲くととてもキレイなのですが、今年はもう散ってしまいました。角あたりにある八重桜は、開花直前くらいです。

 上田城に到着すると、いつも通り堀跡へ下ります。ここはほとんど人がいないので、静かに散策するのにはうってつけ。散り残っている桜と緑の木、斜面に咲く山吹の花などを見ながら、のんびりと歩いてみました。

 お堀を抜けると、遊歩道は上田城の駐車場へ向かいます。ここは昌幸公が築城した当時は千曲川が流れ『尼ケ渕』と呼ばれていたそうです。現在の千曲川は、鉄道の線路の向こうになっていますが。
 左下の写真は、駐車場に入る手前あたりから見た上田城の南櫓(手前)と西櫓(奥)。真ん中は、西櫓下から本丸跡へ登る道。


 本丸跡のソメイヨシノは、少し残っていました。南櫓近くの石垣上の枝垂桜は満開でしたね。
 上田城の桜はソメイヨシノが中心ですが、シロヤマザクラや何種類かの枝垂桜もあり花期がズレるため、4月半ばから後半ならば、いずれかの桜は見られそうです。

 この後は周囲を一回り。どこへ行ってもあるのが桜。場所によっては、まだお花見もできそうですよね。


 まだまだ時間がありましたので、この他にも真田神社・南櫓・北櫓・上田市立博物館などを見て、また城跡をぐるぐる回っていました。というか、おまつり開始まで2時間も城跡で遊んでたよ。(笑)
 好きなところは、何時間いても良いものです
 県内では『ぼたん寺』として有名な、太田市(旧新田町)の大慶寺の『ふれあいぼたん園』へ行って参りました。

 この寺の開基は、新田氏初代義重公の息女・妙満尼。実名は、祥寿姫とも言われていますが、別の名で書かれたものもありますので、実際のところ不明とした方が良いでしょう

 この女性は、源義朝の長男・悪源太義平の妻でしたが、夫が平治の乱で刑死したため、故郷の新田に戻って出家、妙満尼と名乗り清泉寺を建てて暮らしていました。
 この時の妙満尼の年齢は知りませんが(勉強不足か?)、夫の年齢から考えて20歳にはなっていなかったと思われます

 20年あまりの歳月が流れ、亡き夫の弟・頼朝が平家を倒すために挙兵する頃になると、ふるさとで心静かに暮らす妙満尼の周囲にも変化が起こります。
 頼朝挙兵時に様子見をして動かなかった父・義重は、平清盛が死去すると源氏につくことを決意、頼朝のもとへ馳せ参じますが、やはり挙兵に呼応しなかったことが響き、頼朝から冷遇されてしまいました

 若くして出家した妙満尼もすでに40歳近くになった頃、頼朝からへ「側室にしたい」というような艶書が届きました
 妙満尼は美女として知られていたようで、頼朝はそのウワサでも聞きつけたのでしょうか。人質に取るつもりだったとも考えられますね。

 これを知った義重は、頼朝の妻・政子が嫉妬深いことを知っていたため、頼朝の申し出を断り妙満尼を還俗させたうえで家臣の帥(そち)六郎に嫁がせてしまいました
 義重としては、早く夫と死別したた薄幸な娘に、鎌倉でこれ以上辛い思いをさせたくないとの親心だったのでしょう。鎌倉は、妙満尼が亡夫とともに暮らした土地でもありますし。

 新田氏が同族の足利氏に比べ、鎌倉時代を通して冷遇されたのは、このこと(遅参&妙満尼のこと)があったからだという説もありますね。

 個人的には、血縁関係も冷遇の一因ではないかと思っています。
 新田も足利も近い同族ではありますが、頼朝個人は新田氏とは特別な縁はありません。しかし、足利氏の二代目義兼の母と頼朝の母は姉妹なので、この2人は従兄弟同士ということになります。
 おまけに、義兼の正室は頼朝の正室の政子の妹のため、義兄弟にもなっています。
 これでは、足利氏の方を重用するのは当然ですよね。

 大慶寺は、妙満尼が晩年を過ごした寺だと伝わっています。
 ぼたんは見頃でしたが、もうひとつの名物の藤棚は、全体的にはまだちょっと早かったようですね。GW半ばから終わり頃が見頃でしょうか。
 写真の藤はちょうど見頃。小さな木ですが私は藤棚になっているよりも、こういう段差がある藤の方が好きです。単調な藤棚よりも変化があって。

 ここのぼたん園には、150種3,000株ものぼたんがあると言われています。10年ほど前に2回行ったことがあるのですが、当時よりもずっと大規模になっていて驚きました。駐車場も拡張されているし。
 昔は駐車場が混んでいて停められず、こっそり隣の高校の駐車場に停めていましたっけ。(汗)


 大慶寺には桜の木もありますので、1ヶ月ほど前は桜でキレイだったんでしょうね。今は写真は花水木が見頃になっています。
 他にもシャガの花も咲いていましたし、奥にある竹林もキレイでしたv

 1人で行ったのならもっとゆっくりしたかったのですが、両親と一緒だったので30分ほどで引き上げました。それでも、美しいぼたんを堪能できましたね。
きょうNHKの、進行するはずだったみたい。

NHKがここへ説明しなかった。





*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「のぶゆき」が書きました。

 昨夜お風呂からあがると、NHKで信長と光秀のどちらを指示するかというような番組をやっていました。
 それは、『その時歴史が動いた』の特番のようでしたが、男女2人のアナウンサーがそれぞれを擁護するような発言で進行していたわけなのですが、なんかイマイチ・・・

 信長の方の説明では彼の苛烈さを強調しているようだし、光秀の方は優しさを強調しているようでした。
 ・・・確かに、2人を比べるとそういうイメージがありますが、人間そんなに単純じゃないですよね。

 信長だって意外に優しいところがあったりするし、光秀だって結構酷いことやったりしているし。
 歴史番組なのだから一般論だけでなく、もっと掘り下げた内容にした方が良いのではないかと思いました。

 で、番組中で3回どちらを指示するか投票を受け付けていたのですが、1回目は信長優勢、2回目もほぼ同率で信長。
 「どうせ信長の方が人気があるんだから、最終的には信長だろ」とか思っていたのですが、意外にも最終的な集計では光秀でした。
 光秀、良かったね。

 ちなみに、私は光秀も特に好きなわけではないけれど、信長に比べれば好き。好き嫌いの感情だけで言えばね。
 でも、指示するとなると、信長かな。やはり戦国の世には、信長のような人物の方が必要なのだと思っています。

 感情と評価は別。これは、私がいつも思っていることです。
 例えば武田信玄と上杉謙信。
 どちらが好きかと言われればだんぜん謙信の方ですが、どちらが戦国武将または領主として上かと言われれば、迷わずに信玄です。
 謙信はちょっとロマンチストで神経質なイメージがあり、現実的を直視できる信玄には政治手腕では敵わないんじゃないかと。まあ、それが謙信の可愛いところでもあるのですが。
 また、どちらに仕えたいかと言われれば、やはり信玄。信玄の方が、戦の功に直接報いてくれますからね。
 あ、これは評価ではなく物欲か。(笑)
 石和と同じく、29日の上田真田まつりの天気は、毎日悪くなって行きます。晴れなくても良いから、せめて傘がいらない程度の天気にならんかなあ・・・折りたたみ傘でも荷物になるんですよね。

 今まで上田真田まつりは毎回晴れだったから、今年もそう心配していなかったのですが、6回目にして雨に降られそうですね。(汗)
 昨日はトラブってしまい、どうなることかと思いましたが、寄居の写真集が完成しました。いつも通り、本館から行くのは面倒な方はコチラからどうぞ。

 引き続き石和の川中島合戦の作業を始めます。今週末は上田真田まつりなので、しばらくは、この繰り返しですね。
 川中島合戦は、GW中完成が目標です。まだ写真できあがってないけど・・・(汗)

 石和で残ってしまったフィルムは、上田真田まつりで使いますが、真田まつり後は休日が多いため、写真のできあがりが遅れる可能性があります。近所のお店では、写真屋さんは月水金しか来ないからね・・・しかも、祝祭日は休みだし。
 1日に出しても、できあがりは8日かもしれません。(汗)
 なのに、FTPの調子が悪くて、今日中のアップはできないかもしれません。(涙)
 時間は充分あったのですが、転送中に接続が切れてもいないのに止まってしまったり、何も変更していないのに「正しいパスワードを入力して下さい」というメッセージが出たり
 せっかく急いで作ったのに~(涙)
 ダメだったらk更新履歴の日付も変更しなくては・・・
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