[PR] 動物 霊園 読書日記? 松代 忍者ブログ
趣味の歴史や読書などについて、つらつらと語るブログ。戦国真田氏ネタが多め。最近は手芸ネタも増え、カオス化しています。(汗)
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 2年前に上田市が中心となって設立された『真田街道推進機構』。今までは長野県は上田市のみで他は群馬県でしたが、真田十万石の城下町・松代を擁する長野市も加わることになったそうです。

  ■YOMIURI ONLINE
    真田街道機構、長野市の加盟承認…幸村の兄の縁


 今まで入っていなかったのが不思議だったのですが(『真田サミット』には参加していました)、このニュースに理由が書いてありました。

  同機構は、戦国時代に活躍した真田氏の人気を生かし、
  県境を越えた観光PRを目指そうと2010年4月に発足した。
  幸村の兄信之が松代藩主を務めたのは江戸時代のため、
  長野市の松代地区は当初の枠組みから外れていた。


 そうか、戦国時代限定だったんだ。でも、真田氏が収めたのは江戸時代でも、それ以前に幸隆・昌幸・幸村には縁がある土地なのにね。
 2年前の発足以来、あまり表立った活動をしていない気がしましたが、これを契機に期日限定でもいいので上田・旧真田町・松代を廻る周遊バスとか出来ないかな。


 今日は幸村の命日ですね。今まで何度も書きましたので詳しくは書きませんが、真田ファンとしては忘れられない日です。
 もうすぐ400年か・・・
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 決戦劇は、第二次上田合戦の再現。ナレーションは、小松殿@六龍堂さんです。
 慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦より2ヶ月ほど前、会津上杉征伐の向かう途中でのお話。居城である上田城から野州(栃木県)犬伏まできた昌幸公・幸村公のもとに、石田三成公からの書状が届きます。それは、「豊臣家をないがしろにする徳川家康を討つために挙兵するので力をかして欲しい」という内容でした。
 これを読んだ昌幸公は、沼田城から出陣し別行動を取っていた信之(当時は信幸)公を陣所へ呼び寄せ、人払いのうえ去就について話し合いました。
 この密談はかなり長時間に及んだらしく、昌幸公は心配して近くまで来た家臣に「誰も来るなと言ったであろう!」と履物を投げつけ、それが顔面に当たった家臣は前歯が欠けてしまったというエピソードがあります。

 話し合いの経緯については、詳しいことは不明ですが、昌幸公・幸村公は西軍(石田方)につくために上田城へ戻り、信之公はこのまま東軍(徳川方)につくことになりました。いわゆる『犬伏の別れ』のシーンですね。
 親子兄弟が敵味方に分かれた理由について、どちらが勝っても真田家が残るようにしたという説、それぞれの妻の縁により分かれたという説などがあります。(昌幸公奥方は三成公奥方の姉とも言われていますし、幸村公奥方は三成公の親友・大谷吉継公の娘、信之公奥方は家康公の重臣・本多忠勝公の娘)
 私としては、上記だけではなく、いろいろと複雑な思惑や感情が入り混じって、結論を出したのだと思っています。

 この別れの後、昌幸公・幸村公は、信之公留守の沼田城に立ち寄ろうとし、小松殿に入城を拒否されたと伝わっています。

 真田についてならばいくらでも語れるのですが、あまり長くなっても仕方がないのでこの辺にしておきます。(笑)

 上田城に攻め寄せてくる徳川軍は、原町方面から信之公、松尾町方面からは信之公の義弟(小松殿の弟)である本多忠政公(「忠勝」と聞こえたけど・汗)、海野町方面からは総大将の徳川秀忠公の総勢3万8千。
 迎え撃つ真田軍は、昌幸公・幸村公以下約3千。十分の一以下の兵数です。
 普通に考えれば、まず勝ち目のない戦。今回の劇では割愛されていましたが、ここで忠政公・信之公による昌幸公への開城勧告がありました。昌幸公は開城準備をするためと称して日延ばしをし、実際には戦の準備を整えたと伝わっています。
 
 昌幸公の背信(そもそも開城する気なんてなかったけどね)に怒った徳川軍が、上田城へ攻め寄せてきます。
 中心に立つ幸村公を守るように円を描き構えるのは真田十勇士。

 今回、陣取った場所がステージの裏側だったので、十勇士の写真があまり良くないです。(汗)本館レポでは、写真をトリミングしたり加工したりして、もう少しマシにしたいと思います。

 下の写真は、左から根津甚八・三好清海入道・猿飛佐助。


 左は、霧隠才蔵。

 陣取った場所の関係で、ステージ周囲と海野町方面しか見えなかったのが、ちょっと残念でした。まあ、あれだけの観客がいて一番前で見られただけでも、ラッキーだったと思っておきましょう。

 海野町方面で徳川軍と戦うのは、望月六郎(緑の鎧)・穴山小助(赤の鎧)・海野六郎(下中央の写真の左端)。鉄砲の名手・筧十蔵は、幸村公本陣を守ります。
 もちろん、ここでの戦闘は、真田軍の勝利ですね。


 本陣に戻った十勇士の前に現れたのは、敵の総大将・秀忠公。猿飛佐助は信之公に懸かりますが、あっけなく背後を取られてしまいます。



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 先日も書きましたが、松代を通る長野電鉄屋代線は、今日で廃止となってしまいました。
 屋代線に初めて乗ったのは、2000年の松代真田まつりの時。松代へはその10年以上前から行っていましたが、いつも長野から行ったのでバスを利用していました。
 初めて乗ったときの感想を、本館の松代真田まつりのレポートに「長閑で良い雰囲気」と書いてあります。
 それからは、そう何度も乗ったわけではないけれど、本当にのんびりしていて良い電車でした。それが仇になって、廃止になってしまったのかもしれませんが・・・

 私は撮り鉄なわけではないので、屋代線の駅や電車を撮った写真はあまりありませんし、電車の中から撮った写真もほとんどありません。下の写真は、多分唯一屋代線の中から撮った写真。妻女山展望台を取ろうと思ったら、タイミングがズレてかなり先に行ってしまってから撮れたものです。(汗)


 松代駅ホームから見た松代城跡の土塁の外側。


 昨年の真田まつりの時の松代駅。いつもはあまり人がいないホームも、たくさんの人で賑わっていました。


 隣のホームの停車していた電車にプリントされていた『スノーモンキー』。


 本当は、この時に車内から写真を撮りたかったのですが、「運転席付近での撮影はやめてください」というアナウンスがあり断念。運転席の真後ろで、レールの先が見える絶好のポイントだったのですが。
 でも、今思うと運転席の方を撮るのではなく、左右の景色を撮るのだったら問題なかったのかも。根が単純なので、「●●してはいけない」と言われると、あまり考えないで諦めちゃうからね・・・

 今日、群馬県では午後になって雨風が強く荒れた天気になりました。松代駅でのイベントは、どうなったんだろう・・・とずっと心配でしたが、雨(みぞれ)の中でも多くのお客さんが集まってくれたようですね。

 最終電車が須坂に着くまで、あと1時間ちょっと。もう屋代線に乗れないのは寂しいですが、本当にお別れです。
 せめて、上田駅か長野駅のような新幹線乗り入れの駅と直結していれば、廃止にならなかったのかもしれませんね。

 屋代線とそれに関わった皆さま、本当にお疲れさまでした。
  一昨日、長野電鉄屋代線のことを書いたのですが、屋代線最終日の31日に松代でイベントがあるそうです。

  ■信州松代観光情報
    屋代線ファイナルイベント!
          屋代線90年に感謝 あしたへ!

  ■パンフレット(PDFデータ)

 松代真田まつりでおなじみの『真田勝鬨太鼓』(写真)もあるそうです。
 色々な催しがあり、楽しそうではあるのですが、これで屋代線が終わってしまうと思うと、かえって寂しくなりそうですね。(涙)
 もっと近ければ行きたいのになあ・・・
 1週間近くここを放置してしまいましたが(汗)、なんとか松代真田まつりのレポートが完成しました。こちらからどうぞ。
 何度も「信之公がいない」と書いていますので、ちょっとウザイかもしれません・・・もし、気分を害された方がいましたら、ごめんなさい。でも寂しかったんだよぉ・・・
 
 本は、ぼちぼち読んでいます。これからは、少しずつ感想を書いていこうと思っています。
 現在、先日の松代藩真田十万石まつりのレポート作成のため、ここがおろそかになっています。(汗)
 今回は5ページ程度になりそうで、今2ページ目が終わったところ。行列はさっくりやるつもりですが、松代の史跡の紹介はいつも通りにしたくて時間がかかっています。

 その松代で、明後日(30日)に『コメモラティブ・ラン 大河ドラマを真田三代で!』なる催しがあるそうです。

  ■信州松代観光情報
   コメモラティブ・ラン 大河ドラマを真田三代で!


 何をするかというと、↓こんなことのようです。

  この度「大河ドラマを真田三代で!」というメッセージを揚げ、
  真田氏ゆかりの地上田市と松代町を結ぶ、
  オートバイによるコメモラティブ・ラン(「記念の」走行)を行うこととなりました。


 真田三代の大河ドラマ化は、昔なら大歓迎でしたが、昨今の大河を見ると・・・『天地人』なんて最低だったからなあ・・・
 『風林火山』のような、ガッツリ骨太な戦国ものならば、ぜひ見たいです。

 しかし、上田を中心に幸村個人名での大河ドラマ誘致運動にかなりの署名が集まっているらしいので、今から真田三代を掲げてもちょっと難しいかな・・・と思っています。
 まあ、NHKが大河化する基準は、署名の多寡だけではないと思いますが。
 でも、幸村主役よりは三代の方が絶対に面白いと思うんですよね。幸村個人はあまり戦にも出ていないし政治をしてもいないので、ほぼオリジナルまたは『歴史の傍観者』的な視点からの話になってしまいそうで。
 真田氏の魅力を描くならば、やはり三代(幸隆・昌幸・幸村・信之(活躍順))が良いと思っています。
 9日に開催された松代藩真田十万石まつりの写真集が完成しました。こちらからどうぞ。
 現在、ボランティア用の編物の追い込み中ですので、レポートはしばらくできないと思います。

 『真田三代』(平山優氏の本)買いました。
 まだ読み始めたところですが、かなり良い本だと感じています。以前、同じ新書で発売された幸村の本(著者は別人)よりも字が細かく、新書にしては内容が濃そう。読み進めるのが楽しみです。
 先日の松代藩真田十万石まつりの速報版レポートが完成しました。
 いつもよりも短め・・・というか、行列の人物についての説明がありません。時代的に興味のない人たちばかりなので・・・(汗)

松代藩真田十万石まつり2011-1へ(長国寺・前島家)
松代藩真田十万石まつり2011-2へ(大林寺・大英寺)
松代藩真田十万石まつり2011-3へ(松代城・西洋流砲術)
松代藩真田十万石まつり2011-4へ(真田鉄砲隊・勝鬨太鼓)
松代藩真田十万石まつり2011-5へ(行列 松代城)
松代藩真田十万石まつり2011-6へ(行列 真田邸・文武学校)

 今年はテンション低いです・・・

 行列が松代城を出発すると、例年通り追っかけ。真田邸と文武学校の間で追いついた行列は、槍振り隊が通過したところでした。
 ここで撮った写真を並べておきます。サイズ(縦長・横長)の都合上、行列の順番通りではありません。












 いつもならば、もっと行列を追っかけるところですが、今年はテンションが下がっていたため、行列追っかけはここまで。『まつしろ御城下大井市』が行われている文武学校へ寄ってみました。

 入ってすぐのところに、昨年お目見えした松代のマスコットキャラクター『エッサ』(奥)・『ホイサ』(手前)・『サッサ』(サッサの頭に・・・)の着ぐるみ・ぬいぐるみが。人は入っていないようでしたが、子供たちに突っつかれたり引っ張られたり。(笑)
 着物姿のお嬢さんたちが売り子をするお店もありました。若い娘の和服は良いのう。眼福眼福。(←オヤジ)

 この後は、真田宝物館に寄ってから松代駅へ向かいます。


 松代駅に着くと、ちょうどバスが来たところでしたが、帰りは長野電鉄に乗るためにスルー。今年度で廃止になってしまうため、最後に乗っておきたくて。
 駅では切符を購入する人で列ができていました。いつもより混んでいたようです。
 ホームでは、屋代線を撮影している人が多かったですね。松代城前を通過するときも、多くの人がカメラを向けていました。

 右下は、屋代駅でしなの鉄道を待つ間に撮影。もうすぐこの光景も見られなくなるのか・・・(涙)


 今年の真田まつりは、休憩が長すぎたり行列が寂しかったりと少々物足りなさはありましたが、お天気もよくキレイな景色も見られたので満足しています。
 来年は信之復活して欲しいな・・・

松代藩真田十万石まつり2011-5へ
 真田勝鬨太鼓が終わると、このおまつりメインの真田十万石行列・・・の前に、手作りの鎧を着た子どもたちが登場。『松代戦隊 ムツレンジャー』とか言っていました。『ムツ』というのは、真田家の紋である六連銭(むつれんせん=六文銭)から来ているのでしょう。

 この『ムツレンジャー』は、今のところ向かうところ敵なしだそうです。まだ敵がいないから。(笑)
 現在、敵役募集中だそうですよ。今ならば、誰でも敵役になれます。

 この後が、本物の真田十万石行列ですが、私が勝手に松代藩真田十万石行列の主役だと思っていた初代信之公は今年はいないのです・・・(涙)
 今年は松代の生んだ偉人・佐久間象山の生誕200年を記念して、江戸後期の人物で構成された行列になっていました。

 戦国ブーム・歴女ブームに迎合して歴史を曲げてしまう自治体が多い中、松代の郷土の歴史を大切にする姿勢は素晴らしいと思います。でも、戦国真田氏ファンとしては、やはり信之がいないのは寂しい・・・

 というわけで、今年の行列は名前と写真だけでサックリ紹介。すみません、江戸時代の人物はよく知らないの。

 先払い隊・槍振り・七代真田幸専


 松平定信・八代真田幸貫・お貞の方


 佐久間象山・象山門下生・ペリー提督


 鎌原桐山・山寺常山・九代真田幸教


 三千姫・雅姫・峯姫・・・だったと思うけれど、どの姫が誰か覚えていません。(汗)


 戦国武将あこがれ隊・松代城甲冑隊


 戦国武将あこがれ隊の旗持ちは小松姫との紹介がありましたが、松代の地を踏んだことがない小松姫がいて、なぜ初代信之がいないんだろう・・・(涙)

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